占いの歴史

日本の占いの歴史

水晶占い

占いの起源

占いの起源は明確にはわかっていません。
世界最古の文明であるメソポタミアの時代から星を使って占いをしていた形跡が見つかっていて、エジプト文明でも同様の形跡が見つかっています。
古代ギリシアやローマ文明では動物の内臓の色から吉凶を判断し、中国文明では亀の甲羅を熱して、その割れ方から占っていました。
文字のない時代から始まったと考えると、誰がいつ始めたのかわかっていないというのが現状です。

日本の占いの歴史

日本でも古墳時代以前から既に占いが行われたといわれています。
その時の占いは、鹿の肩甲骨を焼いてヒビの入り方で占うという中国から伝わる占い「太占(ふとまに)」でした。
飛鳥時代には中国から様々な占いが伝われたと考えられています。
亀の甲羅を焼いて、そのヒビの入り方で占う亀卜(きぼく)が伝えられると太占は衰退していきました。
占いはこの時代、政治にも多く利用され、卜部と呼ばれる占い集団が生まれるほどです。

陰陽師の誕生

占いは発展していき、8世紀ごろの平安時代には陰陽師が誕生しました。
陰陽師の占いは中国の陰陽五行の思想に基づき日本独自に発展していきます。
占いの方法としては筮竹(ぜいちく)を使った易占いや風水が行われていました。
有名な阿部晴明が出現すると陰陽道は皇室や貴族の支持を受け、全盛期を迎えます。
武家社会になるにつれ、陰陽師の影響力はなくなっていきますが、政治の方針を決める上で重要な要素として占いは残りました。

江戸時代の占い

12世紀に四柱推命が中国から伝わり、政治で主に使われていた占いが、科学の発展とともに庶民の間に広まったのが江戸時代といわれています。
占い師は庶民の仕事や恋愛のことについて相談を受けていたそうです。

戦後に占いブーム

日本の占いがピークとなったのが戦後で、70年の間に7度のブームが訪れます。
易占いやタロットカードなど、古くからあったものから、海外から入ってきたものまで何度もブームが訪れ、占いが廃れることはありませんでした。